写真が上達しない理由

写真が上達しない理由



私が上達しない理由について、なんとなくわかった気がしたので記してみます。

そもそも上手い写真って定義が難しい気もしますが、私が考える上手い写真って、作者が意図したことが意図したとおりに伝わる写真だと思っています。(写真に限らず、世に出た作品は作者の意図通りに解釈される必要がないことはわかっています)

構図や画角、光の当たり方などを上手くつかって意図を伝えるんだと思いますが、私の場合は伝えたいことが決まらないまま撮ってることが多いです。

もともと、私が写真を撮っている一番の理由・目的は、私が死ぬ前に人生を振り返るためです。伝えたい相手が自分なので、例えば家族写真などを撮る場合にもシビアに構図が決まってなくても、もっと言えば暗くてわかりづらい写真であってもその時の記憶が補完してくれます。

趣味で写真を撮っているので、家族写真だけを撮るわけではなく、風景や花など綺麗だなと思ったものも撮っています。スナップなんかもその一つです。この場合は、例えばレンズの違いによる描写の違いなどを楽しんでいることが多く、誰かに何かを伝えるために撮っているわけではありません。

このように、誰かに自分の意図を伝えたいっていう撮り方でなく、自己満足で撮っているだけなので、何枚撮ろうが上達するわけがないですよね。

じゃあ上達する必要があるのか?って考えると、私の場合は趣味なので極める必要はないと感じています。

ならこのままでいいのか?って考えると、それは寂しいなと感じます。何が寂しいのかっていうと、いつまでもレンズやカメラをとっかえひっかえして悦に入るっていうのが寂しく感じますね。

オーディオオタクだったときは、流す音楽はプロの演奏・録音なので素晴らしいものだったのですが、その素晴らしさを聴くというよりも自分好みの音色にすることに執着しすぎてしまいました。

結果、飽きてしまい、今ではスマホ+イヤホンで聞くことの方が多いです。家で聴くときも総額30万円以下のシステムで不満を感じていません。(バリバリのオーディオオタクの時は1000万円越えのシステムでした)

カメラの場合は、プロが撮った写真をレタッチするわけではなく、自分で撮った写真自体がコンテンツなんですよね。それをレタッチやレンズ・カメラの描写による違いで好みの画質にして結果を得る。

最終結果に対して影響が大きいのは、レンズやカメラの違いによる描写の違いも確かにあるんですが、それよりも画角や絞り、シャッタースピードの違いによる表現の違いの方が大きいと感じています。

たぶん、後者を楽しんでいくことの方が豊かな趣味になるんじゃないかな?

とは言え、それも厳密に考えすぎると楽しくなくなるので、ある程度これまで通り撮りたいと思ったものを素直に撮っていこうかな。そのうえでこれまでよりも考えてから撮ってみようかなと。

オンラインサロンに入会させてもらって、いろんな方の写真を見る機会も増え、プロの方の感じ方も拝見できたことはターニングポイントになるんじゃないかと期待しています。(まだよくわからない部分もあるのですが、ちょっと違和感を感じるところもあるので今後も続けるかはわかりませんが・・・)

写真を撮ることは楽しいと感じているので、すぐには上達しないでしょうけど、今後も続けていきます。

今回載せた写真も意図が伝わらないでしょう?なんも考えてないですもんね。

コメント

人気の投稿